どこに出店しても立ちどころに常連客の列でにぎわう人気店『TOKYO PAELLA』の吉沢さんは、10年以上キッチンカーに乗って街から街へ、たった一人で鍋を振るい続けてきた大ベテラン。超本格料理とその無骨なまでの職人魂はキッチンカー仲間からの憧れの視線も集まる存在。
そんな『TOKYO PAELLA」はいかにして今のスタイルを築きあげたのか、ルーキー時代の苦いエピソードをはじめ、その足跡をお話しいただきました。(取材日:2018年1月)
目次
- 開業実績多数!無料キッチンカーセミナー開催中
- TOKYO PAELLA営業風景
- はじめの3年はちっとも売れなかった。それでも自分の信じたこだわりのメニューを貫き続けて今がある
- 売上が上向いてきたきっかけはオペレーションの改善。いつでもブレない味を届けることがファンづくりにつながる
- 屋号を打ち出し、看板背負ってやってる人の姿勢は伝わる 店作りのポイントは覚悟が伝わるか。
- キッチンカーに関する主な記事
- 開業実績多数!無料キッチンカーセミナー開催中
- キッチンカーの開業相談
- キッチンカーの出店場所をお探しの方
開業実績多数!無料キッチンカーセミナー開催中
そのキッチンカーは、今日も行列だった。
取材に伺ったのは、凍てつくような空気の冷たさに、外に出るのもためらわれるような1月中旬。それでもお客さんの列は営業終了の14時頃まで途切れることなく、みんな一様に分厚いコートに身を包み、お目当てのランチボックスを今か今かと楽しみに待っていた。
季節や天候に売上が左右されることも多いキッチンカー。それでも『TOKYO PAELLA』のお客さんたちは、雨の日でも冬の寒空の下でも、吉沢さんのパエリアが食べたくて今日も列に加わる。
吉沢さんは、多様なジャンルのレストランで研鑽を重ね、パエリアの本場スペインはヴァレンシアで料理長を務めあげた経歴の持ち主。そんな百戦錬磨のシェフも「安定して売れるようになったのは、ここ5年くらいかなぁ」とキッチンカー10年のキャリアを回想する。
10年間パエリアを作り続けた吉沢さん。
その腕は全国大会で3位に輝いたこともある折り紙つき。キッチンカーは単品料理で勝負でき、そのメニューをひたすら作り続けることで究極の逸品に磨き上げ、「ここでしか食べられない味なんだよなぁ」と通うリピーターを掴んでいくのが醍醐味の一つだ。
今回は、お客さんを魅了し続けるキッチンカー10年選手『TOKYO PAELLA』の魅力、そして吉沢さんの料理哲学に迫ります。
TOKYO PAELLA営業風景
決して広くはないキッチンカーの中、大きなパエリアパンが次々と炊き上がる。
ランチボックスを買っていく人々の表情はどこかほくほく顔だ。
それもそのはず、メインのパエリアにタパスかスープを選択するランチセットは、素材の味を最大限引き出す本格的なヴァレンシア風、大ボリュームで750円と超お手頃!(ちなみに全部付きセットは1,000円)そして10年以上、週替わりで違うメニューを提供し続けてきたそのスタイルは、行くたび新鮮な気持ちで楽しませてもらえる。
営業開始の11時半を待たずして、早くもお客さんがちらほら。
吉沢さん「あ、どうもこんにちは!」
きれいなマダム「うふふ、まだ早いかしら」
吉沢さん「大丈夫ですよー!今日も2つですか?」
きれいなマダム「ええ、いつもの全部付きセットで2つお願い」
吉沢さん「ありがとうございます!」
常連さんだろうか。慣れた様子で注文したマダムにお話を聞いてみた。
フードトラックマガジン「TOKYO PAELLAさんの常連さんですか?今日は寒いですね〜(手をさすさす)」
きれいなマダム「そうなの。どうしても食べたいから寒くても並んじゃうのよね」
フードトラックマガジン「それにしてもすごく早い時間からいらしてますね」
きれいなマダム「時間を間違えるとね、ほら、すぐ並んじゃうから。いっつも開店してすぐ並ぶ前に来るのよ。違う営業場所でもここの常連でね。勤務地が変わっちゃってなかなか食べられなくなるなぁって残念に思ってたんだけど、たまたま異動先でも営業してくれるようになってラッキー!って」
フードトラックマガジン「わ〜すごい!街を飛び越えての常連さんでしたか!」
きれいなマダム「外出も多いんだけれど、会社でご飯を食べられる時は必ずここのパエリアにするのよ。必ず2つ買ってね、夕飯にもしちゃってるの」
マダムは2つのランチセットを大事そうに抱えて、笑顔でビルの中へと消えていった。そうこうしているうちに、列ができ始めた。ここから営業終了までの2時間半で、吉沢さんは10〜12枚ものパエリアパンを炊き上げる。車内で汗だくになりながら。 ※1枚のパエリアパン=約8食分
自分の出したい味にとことん向き合い、常に傲らず、ブレず、誠実に。
「今より良いものを」と追求し続けた結果、キッチンカーを開業して10年もの時が流れた。今でこそ各営業先で数えきれないファンを抱える吉沢さんも、「最初はちっとも売れなかった」と言います。吉沢さんがひたむきに歩み続けたキッチンカーに懸けた10年、そしてシェフとして料理に向き合い続けてきたその半生についてお話を伺っていきましょう。
はじめの3年はちっとも売れなかった。それでも自分の信じたこだわりのメニューを貫き続けて今がある
フードトラックマガジン「今日の営業もお疲れ様でした!こんなに寒い日でも列が途切れないとはさすがです!TOKYO PAELLAさんは以前テレビの企画でやったキッチンカー行列ランキングでは堂々の1位でしたね」
吉沢さん「ありがたいですよね。お待たせしちゃうのはお気の毒なんですけどね。一人でやってるし、パエリアの炊き上がりや、蒸らし時間の関係でどうしても列になっちゃうから。並んでまで買っていただけるのは本当ありがたいです」
フードトラックマガジン「1時間の昼休みに30分並んでくれるなんて、えらいことですよね」
吉沢さん「並びたくないですよねぇ(笑)。やっぱり常連さんじゃないと並んでくれないですよ。10店出店するような大きい現場だろうと、1店だけの小さな現場でも、いかに常連さんを掴むかが勝負なんだよなぁ」
フードトラックマガジン「今日は、違う営業現場からファンだったという常連さんもいらっしゃっていて、いろんな場所に商圏を広げられるキッチンカーならではだなぁと感動しました。今のような押しも押されぬ人気店となるまでには、やはり大変な苦労がありましたよね…?」
吉沢さん「たくさんありましたよ(笑)。最初はちっとも売れなかったですから。始めて3年くらいは売上がなかなか上向かなかったですね」
フードトラックマガジン「TOKYO PAELLAさんですら開業当初は売れなかったんですか!」
吉沢さん「散々でした(笑)」
フードトラックマガジン「どうすれば売れるんだろう、何がウケるのか、メニューが悪いんじゃないか、など自問自答した結果、商材を変えてしまうケースも多々あると思いますが、一貫して、ヴァレンシア風パエリア、タパスやスープの副菜を週替わりで提供するというスタイルを貫かれましたね」
吉沢さん「別の商材にガラッと変えたりってことは考えなかったです。看板メニューって1つの店で1、2種類でいいと僕は思うんですよね。色々やるとロス増やしちゃったりするし。でもだからといって毎日同じことを繰り返すだけじゃ飽きられちゃう。うちはスープとタパスも毎週違うメニューにしているので、お客さんも今日はなんだろうって楽しみに来てくれるんじゃないかな」
フードトラックマガジン「売れなかった期間も長かったとのことですが、ブレずにい続けるには相当な忍耐が必要だったのではないでしょうか?」
吉沢さん「常連さんも少ないけどついていてくれて、美味しいって言ってくれる人がいたから。だからこそ今も、手を抜かずに美味しい料理を出すことにこだわりを持っています。食数をこなそうとするとどうしても味のブレにつながってしまうんです」
売上が上向いてきたきっかけはオペレーションの改善。いつでもブレない味を届けることがファンづくりにつながる
フードトラックマガジン「吉沢さんのような経験豊富なシェフでも味のブレが起こるんですか?」
吉沢さん「米でも水の量でも温度でも湿度でも変わってきちゃうんですよね。そういうデリケートなものを短時間に仕上げるのって大変だから。しかも車の中で。未だに試行錯誤を繰り返してます」
フードトラックマガジン「作って、よそって、接客して、お金の計算して…それを全部お一人でですもんね」吉沢さん「『硬かった』とか『芯が残ってた』とか『こんなの食えない』と。始めたばかりの頃はそんなお叱りの言葉もいただいてましたね。始めた当初は回転率悪いのに、大きい鍋で炊いてるから余ったら冷めちゃうし。ここ5、6年ですかね、安定してお客さんが並んでくれるようになったのは。パエリアって作ってても未だに安定しないんですよ。ちょっとのことでブレが出ちゃう。だから売れなかったんですよね、何もかも理想に到達してなかったから」
フードトラックマガジン「お客さんは本当にシビアですね…。今も変わらず大鍋でやってると思うんですけど、最初の頃と比べてオペレーションが格段に良くなったんですね」
吉沢さん「そうですね。最初の頃は1日鍋を3枚炊いてヘロヘロになってましたから。オペレーションが安定するまでには結構時間がかかりましたね」
フードトラックマガジン「今日の営業では12枚ですか!(約100食分!)」
吉沢さん「今は営業開始の1時間前に現場着いて、5枚をまず炊いて。あとは接客しながら順次作ってます」
フードトラックマガジン「いつも現場に入られるのも早いですよね」
吉沢さん「はじめは家出るのも遅かったんですよ。でも余裕持って用意してやってるとまた違うんですよね。早く行って損することってないから」
フードトラックマガジン「それも、いかにブレを出さないように作れるかっていうことなんですね」
吉沢さん「スペインで食べた美味しかったベストな味っていうのが頭の中にあって、そこに辿り着けるように日々改良しています。ブレがあるとやっぱりお客さんにわかっちゃうんですよ。味の追求と安定性、オペレーションが噛み合うまでに3、4年かかった、というところでしょうか」
フードトラックマガジン「今みたいにリピーターの方が増えた一番の要因って、安定していいパエリアが作れるようになって来てからなんですね」
吉沢さん「そうかもしれないですね。安定した後もそりゃまぁ色々ありましたよ。もう忘れちゃったけど(笑)。仕込み場なんかも、今では仕込み専用の場所でやってます。専用の場所じゃないときはごちゃごちゃしちゃって落ち着いて作業できていなかった気がします。余裕持ってやらないとダメですよねぇ」
フードトラックマガジン「余裕を持って取り組む、何事にも大事です…」吉沢さん「ずっと探求し続けているから『良くなっていってるな』っていう実感がモチベーションになって、10年続いてきたというのがあるんじゃないかなぁ。その結果、毎週喜んで来てくれる常連さんや、お客さんに美味しいと言ってもらえる。それがやっぱり一番のモチベーションです」
屋号を打ち出し、看板背負ってやってる人の姿勢は伝わる 店作りのポイントは覚悟が伝わるか。
フードトラックマガジン「開店当初から使われているロゴも、店構えもシンプルでかっこいいですよね。ずっと変わっていないから、始める時からやりたいスタイルやイメージがあったように感じます」
吉沢さん「ロゴは友人のデザイナーに作ってもらったんですよ。店づくりでこだわったところは色々ありますね。店構えなんかもヨーロッパの、こうバルじゃないけど、そんなイメージがあったかな」
フードトラックマガジン「なるほど〜!そんな感じします!また小物が素敵なアクセントになってて。メニューもパエリアパンだったり、チェックのクロスがヨーロッパの大衆食堂のようです」
吉沢さん「あとは最初っからPOPを作んなかったんですよね。POPってうまく作れないとダサいじゃないですか。だから最初はお客さん来ないですよね、どんなものが出てくるかわかんないから(笑)。でも1度食べてもらえたらまた来てくれるって自信があったから。POP作りなさいとか、のぼり旗作った方がいいんじゃないって周りからは結構言われましたけど」
フードトラックマガジン「なるほど!確かに自信に満ちてる店構えですよね。今は、オフィスビルの空きスペースでランチタイムに営業するスタイルがキッチンカーの主流になってきました。出店するビルとキッチンカーとの景観がマッチすることもすごく重要になってきて、シンプルな見せ方に寄って来ていますから。キッチンカー隆盛前の10年前からのブレない姿勢!さすがです」
吉沢さん「あとはTOKYO PAELLAって屋号をしっかり出してやるのがすごく大事だと思うんですよね。看板背負ってやってる人ってもうそれしかないじゃないですか。逃げ場を無くすじゃないですけど。変な話、車に屋号入れてないといくらでもコンセプトを変えられるから(笑)。これでやってくぞっていう覚悟も決まると思うんですよね」創業当初からブレない姿勢を貫き、キッチンカーの最前線を駆け続ける吉沢さん。その背中を追う人は多いはず。
後編では、これまでの料理人生や、これからのことについてお聞きします。