どこに出店しても立ちどころに常連客の列でにぎわう人気店『TOKYO PAELLA』の吉沢さんは、10年以上キッチンカーに乗って街から街へ、たった一人で鍋を振るい続けてきた大ベテラン。超本格料理とその無骨なまでの職人魂はキッチンカー仲間からの憧れの視線も集まる存在。
そんな『TOKYO PAELLA」はいかにして今のスタイルを築きあげたのか、ルーキー時代の苦いエピソードをはじめ、その足跡をお話しいただきました。(取材日:2018年1月)
目次
- 開業実績多数!無料キッチンカーセミナー開催中
- フードトラックな人たちの履歴書〜吉沢さんの場合〜
- ライバルのいないメニューはチャンス?差別化できるこだわりを磨いた先に選ばれる店がある
- 手間か原価を惜しまず変化をつけ飽きさせない。お客さんに選ばれ続けることが人気店への道
- 目の前のお客さんを大切に。吉沢さんが追い求める理想のキッチンカーとは
- キッチンカーに関する主な記事
- 開業実績多数!無料キッチンカーセミナー開催中
- キッチンカーの開業相談
- キッチンカーの出店場所をお探しの方
開業実績多数!無料キッチンカーセミナー開催中
フードトラックな人たちの履歴書〜吉沢さんの場合〜
フードトラックマガジン「ご実家がお蕎麦やさんを営まれているそうですが、料理に目覚めたきっかけはやはりそんな背景からでしょうか?」
吉沢さん「そうですね、家の影響もあって料理をするのは小さな頃から好きでした。何となく調理師免許を取っておいたけど、しばらくはやる気が出なくてフラフラしてました(笑)。25歳くらいの時そろそろマズイかなと、家の手伝いをし始めて。28、9歳くらいのときかな、昔から海外で仕事したいというのがあったんで、バックパックでアメリカ一周とヨーロッパ一周とを半年くらいかけてぐるぐる回ってました。そんなときにロンドンで知り合いの和食店に寄ったら『働いてみるか?』って誘われて」
フードトラックマガジン「え〜!日本でお蕎麦屋さんのあと、ロンドンで和食ですか!」
吉沢さん「そう、そこから本格的に料理を学んだ感じですね。毎日手を切ってましたよ。ヨーロッパの魚(スコットランドサーモンなど)の仕込みが大変でね、失敗ばかりしてました。魚見ると胃痛くなるくらい(笑)。でも料理の基本を教えてもらいましたね」
フードトラックマガジン「ロンドンを離れたのはなぜですか?」吉沢さん「3年でビザが切れて。そのあとも『ずっとやるか?』って言ってもらったんですけど、お店って同じことの繰り返しなんですよね。もっと勉強したいなって思ってそこは辞めさせてもらいました」フードトラックマガジン「その後スペインに?」
吉沢さん「いや、実はイギリスにいる時に勝手に結婚しちゃってたんですけど(笑)。そういうこともあって一度日本に帰るかって。友達の紹介で、六本木の結構有名なカリフォルニアレストランで働き始めました。カリフォルニア料理って面白いんですよ。中華、タイ、ヨーロッパとかいいところだけミックスしてる感じで。すごく勉強になりました」
フードトラックマガジン「色々なジャンルを経験されてるんですね」
吉沢さん「そのレストランで働いていた時に、スペイン人オーナーのお客さんが来て『料理人を探している。レストランをやりたい人はいないか』って言われて。先輩に『吉沢行かないか?』と」
フードトラックマガジン「え〜〜!」
フードトラックマガジン「異国の地で料理長…!すごい!」
吉沢さん「スペインと和食のフュージョンみたいな店だったんですけど、0からお店作る、メニュー作るっていうのは勿論初めてで、大変でしたね(笑)。でも、料理って基本が出来てればあとは応用だから」
フードトラックマガジン「スペインで得たものはたくさんあると思いますが、何が印象的でしょうか?」
吉沢さん「変わった食材が多いかったですね。ヴァレンシアってジビエが多いんですよ。パエリアもうさぎとか鶏とかカタツムリ入れるんですよね。変わったの多かったなぁ。あとはそこにいた南米の子達に南米料理を教えてもらったり。どこ行っても勉強になりますよね」
フードトラックマガジン「シェフとしての豊かなバックグラウンドがあって、今、週替わりで提供できるほどバリエーション豊かなパエリアやタパスを安定的に作れるというのがあるんですね」
吉沢さん「あると思いますね。経験で素材の相性を知っているので、素材の良さを引き出す組み合わせやスパイスの調合にこだわっています。誰でもできることをサラッとやってるとかそういうんじゃないんですよね。キッチンカーって料理の経験があまりなくても比較的手軽に始めることができるのも大きな魅力だと思いますが、お客さんに選ばれる店になるには、本でも何でも見て勉強してこそだと思います」
こうして3年間ヴィレンシアの店で料理長を務めたのち帰国。キッチンカー開業前の経歴は、蕎麦(日本)→和食(ロンドン)→カリフォルニア料理で多国籍MIX(日本)→スペイン料理と和食(スペイン)→フレンチレストラン(日本)とバラエティに富む。そんな吉沢さんがいよいよキッチンカー開業へ。
ライバルのいないメニューはチャンス?差別化できるこだわりを磨いた先に選ばれる店がある
フードトラックマガジン「シェフとして海外での経験も豊富な吉沢さんが、どのようにして日本でのキッチンカー開業へと行き着いたのでしょうか?」
吉沢さん「自分の店を持ちたかったんですが、リスクも大きいなと悩んでいました。ずっとレストランで働いてきましたが、レストランってほんと大変なんですよね。毎日朝早くから夜中の0時くらいまで働いて、休みも少なくて。ある時、家族で出かけた公園にキッチンカーが出てたんです。カレー屋さんだったかな?カミさんからこういうのやってみたら?って言われてそこから調べ始めました」
フードトラックマガジン「そうだったんですね。キッチンカーを始める直前は丸の内のモダンフレンチレストランで働かれていたそうですが、そこからパエリアを選ばれたのは?」
吉沢さん「やってる人がいなかったんですよ。色々調べてたんですけど、当時はパエリア扱ってるお店ってほとんどなかったんですよね。1つだけ、エジプト人の方がやってるお店があったんですけどね。あと誰に言われたのかな、あの大きいパエリアパンでやってみたら?と言われて、いいかもしれないと」
フードトラックマガジン「ライバルの少ないメニューを選ばれたんですね。キッチンカーは出店できるスペースもまだまだ少ないですから、メニューが競合しないということは、出店チャンスが増えることにもつながります」
吉沢さん「移動販売であまりてやられていないカテゴリーのメニューってまだまだあると思うですけど、それってオペレーション的に難しいか、受け入れられなくて流行らないかのどっちかだと思うんですよね。それで自分の場合は、さっき話したようにオペレーションで苦労することになるんですけど(笑)」
手間か原価を惜しまず変化をつけ飽きさせない。お客さんに選ばれ続けることが人気店への道
フードトラックマガジン「先ほど安定した品質の料理を提供するというお話もありましたが、他にも何か売れるための秘密はありませんか?(笑)」
吉沢さん「安定した味とクオリティで出し続けるのも大事なんですけど、同じこと繰り返しててもダメなんですよね。毎週違う味にするとか、具を変えるとか、お惣菜を変えるとか。そういう風に変化をつけ続けることだと思います。自分の場合は同じのを作り続けていると、飽きちゃうっていうのもあるんですけど。スープとお惣菜があると変化がつけられる。毎週変えるのもプレッシャーがあるんですけどね。それがかえってこう、力になってるのかなって気がしますね」
フードトラックマガジン「変化をつける。なるほど」
吉沢さん「野菜が今高いじゃないですか。※ 原価のバランス見ながらやってくのって大変なんですけど、副菜のサラダにしても、にんじんだと通年して価格が安定してるんですよね。だからラペにしたり。冬はレタスとか使えないから白菜にしたりとか。アメリカでは白菜をサラダでも使ってるんですよね。なんとか原価と釣り合うように工夫します。」※取材時は1月
吉沢さん「あとは原価をあげるってことです。」
フードトラックマガジン「たしかに吉沢さんのランチボックスは、味が最高においしくてボリューム満点のはもちろんのこと、華やかで野菜ももりもりで、開けたときにわ〜ってなりますし、この値段で大丈夫なの?と思うほどお得感があります」
吉沢さん「大きい現場だとたくさんのキッチンカーが一堂に並んでいて、お客さんは質と値段と色々比較するわけですよね。そこで引けを取らないようにしないと勝負できないんですよ。ちょっとくらい原価上がってもお客さんに喜んでもらえるようにいいものを提供するってことが差になるんじゃないかな」
フードトラックマガジン「なるほど、その差がリピートにつながっていくわけですね」
吉沢さん「例えばイカ墨のパエリアなんかはすごく原価もかかっちゃうんですけど、具も他のパエリアよりもシンプルだからその分、よそる量を増やしたりもするんでね。大変です(笑)」
フードトラックマガジン「常連のOLの方が、『最近イカ墨がご無沙汰だから食べたいです』とリクエストをしたら翌週持ってきてくれて嬉しかった、とおっしゃっていました」
吉沢さん「リクエストとかもできる限りはね、お聞きしたいですね。豆のパエリアの時はあんまり食数伸びないな、とかね。お客さんの反応も見ながらメニューを考えてます。あとはどうしたら売れるかっていうと勿論『こだわり』ですよね。こだわってやってる人は売れてますよ」
目の前のお客さんを大切に。吉沢さんが追い求める理想のキッチンカーとは
フードトラックマガジン「今まで10年間キッチンカーをやって来られて、業界の変化を感じることはありますか?」
吉沢さん「やっぱりお客さんがどんどん質を求めているんじゃないですかね。多分ねレストランとかコンビニのお弁当と比較して、キッチンカーの方がいいって思ってくれる人が増えてきているんじゃないかな。ビジネス街だとコンビニのお弁当もすぐ品切れしたり、お店で食べようとすると1500円とかしちゃったりするので、それを850円前後くらいで、お店に劣らないものを出せればお客さんは来てくれると思うんですよね。売れてる店と売れてない店、並んでる店と並んでない店を見てると、やっぱり質の差なんじゃないかな、と思います。 例えばロティサリーチキンのお店あるじゃないですか。専用のグリル機器で1羽丸ごとをキッチンカーで焼き上げているやつ。あれなんか凄く大変じゃないですか。やっぱりああいう風にすごく手間をかけて出してるのってすごいな、と思いますね」
フードトラックマガジン「手間とこだわりですね」
吉沢さん「手をかけてるお店はお客さんがついてきますよね。日本のキッチンカーのクオリティの高さはすごいと思いますよ。それは、誰でもできるからではなくて、よりハイレベルな料理が望まれている証拠なんじゃないかと思います」
フードトラックマガジン「キッチンカーを始められるときは、お店を持ちたかったということでしたが、吉沢さんは今後についてはどのような展望をお持ちなんでしょうか?」
吉沢さん「うーん。お店はやはり難しいんですよね…。お店でいまとは違う料理を作ってみたいなと思ったりもするんですけど。今以上に稼げるイメージはないんですよね」
フードトラックマガジン「営業が軌道に乗ると、台数を増やしたり、人を増やして事業を拡大しようという選択をする方も多いなかで、吉沢さんは1日150食、200食と数字を追ってやっているというよりは、ちゃんとしたクオリティで、来てくれる人に対していいご飯を提供していきたい、という思いでやられているのかなと拝見しています」
吉沢さん「そうですね。いいのを200食出せたらそれに越したことはないんですけどね。自分一人でちゃんとできるのは100食前後が限界ですね。数こなそうと思うとすぐブレが出ちゃう。やっぱりちゃんとやんなきゃいけないんですよ、妥協せずに。毎日緊張して仕事してますよ。作るのを教えて車の台数増やせばいいんじゃない?とみんなから言われるんですけど、自分でも完璧じゃないと思っているのに、それを人に教えるって難しいんですよね」
完璧じゃないー。吉沢さんの、料理に対して理想を追い求める厳しいまでのひたむきさ、お客さまに最高の1皿を提供したいという真摯な思いは、キッチンカー『TOKYO PAELLA』の隅々にまで染み込んでいるように感じた。長いキャリアのなか積み重ねてきた自身の哲学として。そして、最後にこんな質問をした。
フードトラックマガジン「では最後に、吉沢さんはどんなお店であり続けたいと思っていますか?」
その答えも至ってシンプルだ。シンプルであり続けることが実は一番難しい。
吉沢さん「現状より下げないように。現状より常に良くありたいかな。」
2018/1/15取材、2021/07/25 一部リライト